日本人は苦労の美徳が大好きですね。辛い状況でも耐えしのぐことを美徳と感じる人が多いと感じます。(特に年配の方は)
私はこれを「おしん精神」と勝手に命名しているのですが、困難や障害の中、苦労して耐えて(尽くして)ゆくの人の姿が健気で美しく見えるという気持ち、わかります。
健気な人、一生懸命な人の姿って魅力的ですよね(^ω^)
ただし「おしん」のような困難な時代背景ではなく、平成の現代においても、おしんのように苦労し、苦労に耐える自分、逆境を乗り越える自分に酔いしれている人も少なくありません。
- 苦労の原因が自分の軽率な行動であることも多い
- 主体性がなく優柔不断、損得勘定で動く
- 主体性のある人は他人のせいにしない
- 苦労も含め、自分で決断したこと
- 苦労アピールは痛々しい
- ボンクラな決断力で無駄に苦労を抱えないための対策
- 物事をハッキリと見極めるための3か条
- まとめ
苦労の原因が自分の軽率な行動であることも多い
そういう人が苦労している原因を探っていくと、本人がよく考えずに決断したことにより、しなくてもいい余計な苦労を勝手にしょいこんだケースも多々見受けれます。
例えば、
- 周囲が結婚しているから焦って条件はイマイチだったけど結婚した⇒嫁姑問題バトル勃発⇒苦労。
- 就職したくなかったけど、周囲がしているので焦ってとりあえず受かりそうな所で内定を貰った⇒ブラック企業だった⇒洗脳乙。
- なんとなく性生活してたらデキちゃった⇒デキ婚⇒夫がDVモンスター化。
- お小遣い欲しさにキャバクラに体験入店♪⇒店長カタギじゃない⇒闇社会に引きずり込まれた。
このような、最初の動機が軽い、よく考えないで行動した挙句、余計な苦労やトラブルをしょいこむ人も少ないないと感じます。
そのような人が「でもっ!こういう経験をして自分は深い人間になっているから!頑張ってて立派だから!楽してのん気に生きている奴らとは違うから!!」
と恨み節を語っているのを見ると、私はいつもこう思います。
「ただ自分がボンクラだっただけでしょ?決断する前によく考えれていれば、こうなること、ある程度予測できてたよね?(・ω・)」
主体性がなく優柔不断、損得勘定で動く
こういう人は基本的に優柔不断で、主体性がなく、思考力に乏しいタイプが多いように感じます。
先のことまでよく考えられないのですね。
また楽したい、得したいという欲から安易な方向へ流れていくことも多いです。
一見行動力があって、前向きなように感じますが、行動する理由がしょーもない(またはフワフワしている)ことが多く、余計な苦労をしょい込んでしまうことが多いように見えます。
主体性のある人は他人のせいにしない
もちろんどんなことでも苦労する時はしますし、慎重に判断した結果でも上手くいかないことは沢山あります。
それでも、行動(決断)する前に、自分基準でよく考えた人は、たとえその結果苦労や困難に遭遇しても、他人に恨み節を解いたり、自分は苦労して成長している!
などと苦労を故意に他人に主張することはほとんどないと思います。
苦労も含め、自分で決断したこと
自分の意思で決めたことなので、何があっても自己責任という意識が身についています。
他人にサポートしてもらうことはもちろんありますが、被害者ぶったりしませんし、他の人せいにして無駄なストレスを長期間保持する、などという鈍くさいこともしません。
苦労アピールは痛々しい
つい流されて、周囲がやっているから・・と人生の重大な決断の場面までフワフワした状態で決める人のしょい込んだ苦労は100%本人の責任です。
自分で考えて判断した人がしょい込む苦労も100%本人の責任です。
後者との違いは、前者はその苦労を他人にアピールしたり、苦労する決断をしない人を非難したりする無責任さだと思います。
決断の際に、無責任なので、結果に対しても無責任な解釈になってしまうのです。
ボンクラな決断力で無駄に苦労を抱えないための対策
そいういう無駄な苦労を自分からしょい込み、苦しんでしまいやすい人は、新しい信条を採用してみるのもオススメです。
私ならこんな信条を掲げます。
物事をハッキリと見極めるための3か条
- 周囲に流されて不本意なことを始めるのはボンクラ
- 価値のない人間関係にしがみつくのはグズ
- 他人の評価を過剰に気にするのは道化
かなり極端な解釈ですが、ぼんやりと決断をして後悔してしまうことが多い人は、この位ハッキリとした意識で物事を捉えていく位が丁度いいのではないかと思います。
みんなそうしているから それが当然だ(とされている)から これ位が普通だから
というぼんやりとした空気感で、何も自分で判断しようとしない姿勢が無駄に苦労をしている人によく見られる特徴です。
一般論を感情論で押し付けてくる人は、考えが浅いので無視して良い
「〇〇しない奴はおかしい」「甘え」などと感情論で一般論を押し付けてくるような人は、人間の振る舞いは置かれた環境システムの影響から逃れられないという現実を直視していない人です。
単に精神論だけで突っ走るのではなく、置かれたシステムがヤバいと気づけば、回避するのは当然の賢明な判断です。
相手にせず、状況を自分の直感と環境システムという面で考慮すると、無駄な苦労を回避し、マシな選択ができると感じています。
↑ちなみに【嫌われる勇気】も発動する場所と立場を把握していないと、自分を窮地に追い込むリスクがあります。
まとめ
しなくていい苦労を不本意にしょいこむのは、美徳でもなんでもなく、ただのグズです。
今はとても恵まれた時代です。
おしん時代のように封建的で身分制度にガチガチに固められた不自由な時代ではありません。
自分がしょーもない理由で苦労を買い込んで、苦労を堅実に回避している人を非難するのはやめましょう。
ほんの少し、判断力を磨くだけで、余計な苦労は確実に回避できます(^ω^)
ちなみに私も過去、人が驚愕するようなボンクラな決断をして涙目になった経験が幾度もあります。
人間完璧じゃないので、少しづつ、失敗という経験を積みながら、判断力を磨いていきたいと思います<(_ _)>
ただし、自分のおバカ極まりない軽率な行動で引き起こしたトラブルによる苦労を、これも経験の内!挑戦しない人よりはマシ!などと開き直ったりはしません。
アホはアホ。
愚かな行いに意義などありません。
2019年追記:補足
かなりはっきり書いてしまい、気分を害された方もいらっしゃると思いますm(__)m
結局何が言いたかったのかというと、失敗から学ばない人間はアホだということです。
その行動、経験自体が悪いというわけはなく、失敗経験を教訓として受け止めていない所がイタいと思うポイントです。
自分だけで消化するならまだいいのですが、他人に対しても
「私は失敗(して苦労)した。でも失敗も経験すべきことだからあなたもやりなさい!」
という無責任なアドバイスをする人は迷惑です。
私は成功の秘訣は自他の失敗経験を沢山あつめて、そのパターンを回避しながら行動することだと考えています。
失敗には沢山の知恵が詰まっています。
その知恵をリスク回避という点で生かさないのなら、また同じようにつまづくだけです。