ひとみーぬ通信

HSPの生存記録。気まぐれ更新。

不登校は病気でも犯罪でもない。通信制(ホームスクーリング)にシフトすればいいだけ。

不登校で騒ぎ立てるのはナンセンス

よく「我が子が学校へ行かなくなって・・」とこの世の終わりのような悲壮感漂う表情で悩む親御さんっていますよね。

大多数の生徒が学校へ通学する中、自分の子供が行かなくなると「この子、これからどうなっちゃうのかしら?」「病気なのかしら?」と心配になるお気持ち、お察しします。

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しかし、私なら、不登校=「学校へ行かないという選択」をしただけ、と見ます。

 

もし行けないのであっても、最終的に行動によって行かないという自主判断を下したのです。

 

 

ホームスクーリングを取り入れる家庭が増えている

昨今のいじめ自殺問題などの影響もあり、今は子供をホームスクーリング(通信制)で教育する家庭も増えているそうです。

kotaenonai.org

↑アメリカのホームスクーリング事情が詳細に書かれていて、わかりやすいサイトさんです。

通信制の教育体制が充実しているアメリカを中心に導入する家庭は年々増加しているようですが、日本でも通信制を取り入れる家庭は今後増えているのはないかと思います。

 

もう、学校=一つの指定された場所で学ぶしかない、という考えは古臭いです。

未発達の子供達を集団にし、囲い込むことで生じるリスク

学校にはまだ精神的に未発達で共感能力の弱い子供達もいます。

友達の頭を平気で殴ったり、物を盗んだり、もっとひどいことをする子もいます。

もし、大人で、職場でそのようなことが頻繁に起こっていたら・・それでもその職場に居続けますか? 

少なくとも大人の場合は、転職する、辞職する、など他の選択肢が用意されています。

子供達だけ、劣悪な環境にただ耐えることしか選択肢を与えない、というのはあまりにも酷で、無関心だと思います。

まだ税金を払っていないからといっても、配慮がなさすぎます。

理解力のなさ、思慮のなさが不登校を深刻な問題へと発展させる

不登校は病気ではない

こういう話をすると、「それは逃げだ!甘えだ!」という人が必ずいます。

そういう人は、生徒本人の選択を「逃げ」だとか、「甘え」だとか、「病気」だと勝手に決めつける自分の理解力のなさ、思慮のなさが当人を不登校になったこと以上に苦しめているのではないか?

 

と考えたことはないのでしょうか。

不登校は病気でもなければ、犯罪でもありません

ただ「行かない」という決断をしただけで、周囲の人が大事にして騒ぎ立てたり、狼狽したり、本人を責めたてたりすることは、大人としてとても思慮ある行動だとは思えせん。

 

また、犯罪でもないのに責められる筋合いもないでしょう。

 

その程度で責める人は、他の他人に危害を加えているような、本物の犯罪者のほうを責めるべきじゃないでしょうか?

単に言いやすい人に言っている小心者にしか見えません。 

子供が学校へ行かないと変わり者だと、周囲に好奇の目で見られるのが怖いのは大人の方ではないでしょうか?

好奇の目

学校へ行かないと将来大変なことになる!と騒ぎたてる前に、

ウチの子は少し個性的だから、この個性をいい方向へ伸ばせる職業なりライフスタイルを採用できるチャンスね!」

 

位にポジティブに捉えてあげれば、当人が周囲に無理やり劣等感を押し付けられることもなく、予想通り、伸び伸び個性を発揮して活躍できるようになると思います。

怖い(心配)なのは自分のメンタルが弱いから

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これまでの常識や世間体というフワッとしたものに、無駄に罪悪感や劣等意識を抱かせるのではなく、堂々と自分でいられるよう不登校などの状況の時程、大人の器が試される時だと思います。 

不登校=大変な問題だ!という認識をまず変更する必要があると思います。

 

実際、ホームスクーリングは今後先進国で導入されていくでしょうし、将来的には学校は「通学?通信制?どっちにする?(*´з`)」位のノリになっていると思います。

大人達の働き方がすでに、場所に縛られない(クラウドワーク)が世界的に増えていることを見れば、そうなる可能性は高いです。

まとめ

選択肢はないよりはあったほうがいいし、これまでもそうやって進化してきたのだから、不登校位でいちいち騒ぎ立てず、どんと構えて、子供に変な罪悪感を抱かせないほうがいいと思います。

 

私なんてギリギリ、フワフワ、後がない状態の時でも「とりあえず今、生きてるんで平気!(` ω ´;) 」位の精神できたので、不登校の何が問題なのかすらわからないです(´・ω・)

本当にたいしたことじゃない。ただの決断。

追記2019年:私も不登校でした

この記事を書いたのは約3年前です。

あまり自分の個人的な体験を書く必要はないと思いあえて書きませんでしたが、

同じような境遇の学生さん、または親御さんの参考になればと思い私のことを少し書かせて頂きます。

 

 

私は小学3年生の頃に不登校になりました。

 

理由は特にひどいいじめがあったというわけではなく(たまにクラスの女子にランドセルを蹴られてひっくりかえって怪我をする位のことはありました)

 

学校という空間の閉塞感、

教室という空間のザワつき、

そして、大勢の生徒(人間)が集まる空間に対する、居心地の悪さと強い恐怖心を常に感じてました。

 

授業を受けていても、不安で胸がザワついて集中できず、成績はいつもビリすれすれ。

 

毎朝、学校へ行く時間になるとお腹が痛くなり、足が前に出ない・・

そんな日々の繰り返しでした。

 

ストレスから500円玉位の円形脱毛症ができました。

 

ある頃、私はとうとう学校へ行くことを強く拒絶しました。

 

不登校になったのです。

登校拒否になってからの周囲の変化

体験談登校拒否

 

当初は両親も学校も周囲も、大騒ぎでした。

 

私が学校へ行かないということが、とんでもなく不気味で、異質で、いけないこと、誰もがそんな目、そんな態度でした。

 

ある日、無理矢理引きずられ、泥だらけになって教室へ放り込まれたこともありました。

それでも、次の日、私は頑なに学校へ行くことを拒否しました。

 

母は私の前で大声で泣き、父も私を然りつけました。

 

それでも私には学校へ行く気力は起きませんでした。

 

母も父も仕事で家にいなく、学校を休んでいる間は家でひとりで漫画を読んで過ごしていました。

マンガを読んでいる時だけはすべてを忘れられて、ほっとできる時間でした。

 

しかし時々、強い不安に襲われ母の仕事場に電話をかけては「仕事中に迷惑でしょう!」と怒られ、

仕方なく、電話帳に載っていた本屋さんに電話をかけ「○○の本はありますか?」などと問い合わせのふりをして人と会話し、心細さを埋めていました。

孤独

 

「お父さんはもうあんたのこと嫌いだって」

 

ある日、母がボソッと私にそう言いました。

 

引きずられて教室に放り込んだ次の日に私が学校へ全く行かなくなってから、私の居場所は世界のどこにもなくなってしまった・・

 

そんな風に思いました。

 

風変りなおばさん、私のヒーロー

私のヒーロー

ある頃、学校へ行かず家で一人でいる私を心配してくれた近所のおばさんが、電話をかけてきてくれました。

 

私は受話器越しに「元気です・・」と言いかけたと同時に泣いてしまいました。

 

その2分後、おばさんは私の家まで駆けつけてきてくれました。

 

ドアを開けた瞬間、おばさんはギュッと私を抱きしめてくれました。

 

何も言わず、ただずっと抱きしめてくれました。

 

当時は照れ臭かったけど、私が不登校になってからはじめて優しくしてくれた、たった一人の大人でした。

 

そのおばさんは、マイペースな性格で、家族をとても大切にしていました。

 

近所ではそのことを影でバカにされたりしていましたが、全く気にせず、おばさんは大切なものを大切にしていました。

 

私もよくおばさんの家にお邪魔して、タダ飯を食わせて頂くなど、図々しい行いをしていましたが、おばさんのファミリーはいつも気にせずアットホームでした。 

 他の居場所を見つけて回復

結局学校へは行ったり休んだりを繰り返し、とあるコミュニティに入ることで居場所を見つけ、だんだんと元気を取り戻してきました。

 

学校以外の居場所が見つかったことで、長い間続いた冷戦のような日々が終わったのです。

 

 

両親も周囲の人も友達も、私を心配してくれていたのだと思います。

 

でも「どうにかして私の行動を変えさせようか」という視点しか持っていないように見えました。

怒ってダメなら優しくして、それでもダメなんて、なんて我がままでダメな子なの!!

こんな反応の繰り返しです。

 

私が当時感じたのは、とてつもなく重い罪の意識(罪悪感)と、

一方的に病人、犯罪者認定されることへの反発心でした。

 

今でも、なぜあそこまで学校へ行くことが正義だと、周囲の人達は私に言えたのか。

納得できる理由がありません。

 

なぜ、行かないと意思表示をすることが子供には許されないのか、

なぜ、他の居場所を求めるという選択肢がないのか、

なぜ、周囲と同じ行動をしないだけで、犯罪者のような目で見られるのか、

 

このことは、大人になった今でも強くトピックとして私の胸に残っています。

 

www.hitominu.com

今でも不登校で苦しんでいる子を見ると、私が一番つらかった時、抱きしめてくれたおばさんの存在を思い出します。

 

今は価値観が多様化し、不登校位で騒ぎたてることも少なくなったかもしれませんが、やはりまだまだ日本の画一的な思想統一は根付いていると思います。

 

他の先進国ではホームスクーリングを導入する家庭もめずらしくはありませんし、絶対にこの選択肢しかない!という視野の狭さもありません。

 

私は集団管理体制の教育が義務教育になっているのは、民主主義に反すると考えています。

 集団で狭い建物の中に閉じ込められ、固定化され、競争させられれば、いじめ問題など、起こらないはずがありません。

 

集団管理教育がいいか悪いかは別として、私なら人と違う選択をして、自分の意思表示をして拒絶することを悪いことだとは思いません。

 

だから責めませんし、むしろユニークだと褒めるかもしれません。

 

逃げ場を奪うことは、残酷なことです。

 

そして何か逃げなのか?何が正しいのか?

 

無知な私達には、一生わからないことだと思います。

 

周囲にバカにされても家族を大切にしていたおばさんのように、

「自分にとって何が一番大切なのか?何を優先すべきか?」

という問いを大切にしていけば、悪い方向にはいかないはずです。

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辛い経験も時期がくれば、バネにして這い上がる原動力になります。

 

他者の痛みを理解できる、共感力のある子に育つと思います。

 

不登校=悪いこと決めつけてしまうことは、とても視野が狭く、浅はかな態度ではないでしょうか。