一般的に人と一緒に食事をする=会話を楽しむという目的が含まれますよね。
普段あまり会話をしない人となら、コミュニケーション(会話)目的の食事もいいのですが、ある程度気心が知れてきたら、食事中にいつもいつも会話をしなければいけないのは逆に苦痛に感じてしまいます。
食事を共有するだけでコミュニケーションは成立する
私は食事中にずっと喋る時もありますが、一言も会話せずに食事を終わらせることもあります。(「あ、これ美味しい」程度のつぶやきがあることはある)
それで相手と特に喧嘩しているわけでもなく、気まずいわけでもないです。
お互いに会話しなくても、なんとなく一緒の時間を共有している・・そんな空間が心地がよくて好きなのです。
時間を共有できるだけで十分
会う度に、顔を突き合わせる度に、「今日こんなことがあってね!それであれがこれでこうで!( ゚Д゚)」などと近況報告をしなくても、コミュニケーションは成立すると思います。
言葉を交わさなくても「一緒の時間と空間を共有している」だけでもコミュニケーションは成立すると思います。
逆に沈黙にならないように、と話題を探すのは疲れますし、相手との距離がある証拠だと感じます。
ラーメンとシェイクを食している時は話しかけないで欲しい
私の場合、ラーメンとシェイクを食している時は、できるだけ会話したくないです。
吸い込むために肺活量を使う上に、会話をして(さらに歩きがらだと)、呼吸困難になりそうになります(;〇д〇`)
ですのでラーメンを頂く前に「味に集中したいからなるべく話かけないでね(; ・`д・´)」と言っておくこともあります。
食事=コミュニケーションの強制タイムにしないで欲しい
食事=会話必須ではなく、時間の共有ができればOK位の気持ちで一緒にいてくれる人は有り難いですね。
ご飯=コミュニケーションの強制ターイム!!みたいな雰囲気は怖いです。
会話したい時に会話し、話したくない時は話さない、そんな自然体な状態で付き合える関係こそ、信頼のある関係なのではないでしょうか。
好意のない人との高級料理よりも信頼できる人との普通料理のほうが美味しい
昔、友人が年上のオジサン(小金持ち)と何度も食事へ行っていました。
友人は私に「今度一緒に食事行こうよ!〇〇さん(小金持ちのオジサン)なら高級料理沢山おごってくれるよ!超ラッキーじゃない?」と言われました。
それに対し「好意もないキモいオジサンと高級料理食べる位なら、家でカップラーメン食べてたほうがよっぽど幸せだわ(´д`)」と思った記憶があります。
食事はよほどの理由がない限り、好きな人と一緒に頂きたいです。
好きな人とならどんな料理でも美味しく感じます。
嫌いな人と一緒に食べるお料理はどんなに高級でも、美味しく感じられないし、幸福感も特にないです。
ビジネスなどの付き合いを除き、食事の時間はできるだけ無理をしないで、安心できる空間であって欲しいです。