ひとみーぬ通信

HSPの生存記録。気まぐれ更新。

動物虐待と人権侵害について最近思っていたこと。結局思いやりがあればすべて解決できると思う。

以前から私の中の気になるトピックスとして、動物福祉や人権問題が根強くあります。

ここ最近ではドナルド・トランプ米大統領の女性蔑視的な発言をキッカケに世界中で女性達による人権運動が盛んになってきています。

NHKドキュメンタリー - BS1スペシャル「女たちの変革~トランプ大統領後の世界を生きる

この番組は私の中で今年一番のHITです。自分と同じような考えを抱いた女性達が世界中に沢山いることを知り、安心できました。

 

日本では男尊女卑思考に慣れすぎているせいか、あまり関心のない女性が多いのが少し残念ですが、海外には「おかしい」と気づいている女性達は沢山います。

日本の男尊女卑の風潮にモヤモヤしている女性達にもぜひオススメ。

 

色々考えてきたけれど、結局は偏見と感情の忘却、思いやりのなさがすべてのが引き金で、逆に言うと、そこさえひっくり返せばすべての問題が解消されるのではないかと考えています。

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偏見は自分の精神を守るための防御法

偏見は他者と自分を特定の属性にカテゴライズし差別化することで、相手に共感してしまわないように、心に予防線を貼り、守ることでもあると思っています。

 

例えば、誰かが理不尽に殴られ、罵倒されていたとします。

もしその相手が自分の大切な人や共感できる部分を持っている同じ人間だと認識していたら・・いたたまれなくて辛い気持ちになります。

 

しかし、そういう状況の時、「あの人は私と同じ●●(同性、国民、同性代など)だけど、ろくな教育も受けてない卑しい人だから!あれ位されても仕方ない。私達とは違うから!」

などと相手との共通性を断ち切れば、感情的にならずに済みます。

PTSDという、心的外傷後ストレス障害を指す言葉がありますが、PTSDは被害を直接受けなくても、攻撃されている人を目撃してしまうことでも発症します。

共感とは相手の感情を自分に取り組む行為

ひどい行為を見る度に、常に相手に共感してしまうと自分の精神がボロボロになってしまいます。

属性による切り離しをすることで共感してしまうことを防ぎ、自分を守っているのです。これが偏見のメリットでもあると思います。

感情を忘却すれば、どんな行為でもできる 

対象を同じ人間、命ある存在とみなさず、モノだと思えばどんな残虐な行為でもできてしまいます。

偏見や感情の切り離しは、自分を守る盾となる一方で、冷酷な行為に何の疑問も抱かないフィルターをかけてしまいます。

感情は思考習慣や固定観念によって発生するもの 

tokidoki-sur.cocolog-nifty.com

「闘牛士が牛を殺せなくなった」という記事のサイトさんです。これを見て、「甘い、弱い男」と揶揄する声はまだあります。

しかしこの闘牛士に共感した人も大勢いると思います。(実際に牛を殺す闘牛は行われなくなっています)

 

もう私達の精神レベルが牛をモノだと解釈するフィルターをつけられなくなっているんですね。

食べるために命を頂いても、弄び、遊具として命を奪うことに対し、理性ある頭が感情を通して拒絶反応を起こさせているんだと思います。

 

感情って単に自然に沸いてくるものではなく、その人の思考習慣や経験に基づいて反応するものだと思います。

ですのでこれは甘いのではなく、進化だと私は思います。

自分達さえ問題なければ、このままでいい、という風潮

共感力って本当に大切なことだと思います。

これまでの歴史を見ても、理不尽に虐げられている人達に対して、有利な立場にいる人達が共感を抱くことはほとんどなく、彼らが命がけの人権運動を起してきましたよね。

 

最終的に彼らの声に耳を傾ける人達が少しづつ、少しづつ増えていったおかげで、歴史は塗り替えられてきました。

「今、これでうまくいってるんだからいいじゃないか。自分や自分の家族、まわりの人が問題なく暮らせているだから今のままでいい。そのほうが現実的だ。」

という当たり前の無関心という偏見が、今でも多くの人や動物、環境を破壊し、苦しめているのだと思います。

 

だからって特に何をすべき!と上からエラソウなことは私には言えません。実際私も大したことはできていません(;´д`)

見方を変えるだけでも貢献できる

ただ少なくとも、命あるものをモノとして見るのはやめましょう。と言いたいです。

 

〇〇だから何をされてもいい、なんて人は存在しないし、喋らないからといって憂さ晴らしのために命を弄んでいい生物もいません。

 

目を見て彼らが、その存在が、自分と同じ生きている存在であり、価値があることを認めることは大切だと思います。

 

私は闘牛士のエピソードや動物を仮死状態で飼育しようと試みる科学者を、意味がない、とか甘いなどとは思いません。

 

むしろ尊敬します。

 

そういう人は強い意思を持っておられる方だと思いますが、今後も「自分達と現状さえよければいいや」的な目線の人達の揶揄に負けず、活動して頂きたいと心から応援しています。

家畜の虐待と動物福祉について

ちなみに動物を食すことに罪悪感を感じろレベルのことは言っていません。

生産者の方々が日々飼育してくださった命を頂けるのは本当に有難いことですし、感謝しています。

 

ただ、本当に一部の悪質な業者が飼育施設で家畜を虐待していたり、安価で大量生産するために劣悪な環境で飼育を受けている家畜達がいることは問題だと思います。

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遊びや憂さ晴らし、利潤の追求のみに走り、何も言えない動物達の命をゴミクズのように扱う業者には厳しい罰則を適用し、告発していくべきだと思っています。

 

面倒な問題に巻き込まれるリスクのある相手に手を差し伸べる義務はありません。本当に砂をかけられて終わるリスクもありますし。

ただ、こういう人達が「どうしてそうなったのか?」と少し考えてみる価値はあると思います。人はよほどの理由がない限り、不器用な生き方は選ばないはずだと思うからです。