私は昔から
- みんながしてるから~する
- みんなが言うから~を支持する
という多数派を無条件で正当化する人があまり好きではありません。
そういう態度の何が一番嫌かというと「みんなそうしてから~をしても仕方なかった」と自分の悪態や無責任な行動を正当化する人が多いからです。
多数派の意見、行動を免罪符に、自分の過ちや他者へのひどい行いを正当化することは無責任だし、子供っぽいと感じます。
加害者のくせに被害者ヅラする人
さらにタチが悪い人になると、悪行を行った人を自分も支持する態度をとっていたにも関わらず、被害者ヅラして都合よく忘れる人、です。
戦中、戦後にそのような人は沢山いました。
非道な行いをした独裁者を熱烈に支持していた癖に、世論の風向きが変わるとコロッと「自分も騙されてました!非道な行為だ!!」という顔を平気でします。
「少年H」という映画に、終戦になり、それまで万歳をしていた人が180度態度を変えて、知らん顔しているシーンがあります。
もちろん、戦時中は世論に流されないと自分や家族の命まで危うくなるような時代でしたので、みんながそうだったから~という理由は、戦後はかろうじて免罪符になりえたと思います。
自分で考えることを放棄することは無責任な態度
しかし、それ程緊迫した情勢でもない現代でも、自分で物事を判断する、という手間を惜しみ「多数派なら正しい、みんなしているし、しょうがないよね。」と自分の悪態を正当化する人の神経が私には理解できません。
具体的には、
- 派遣やパート、無職はしょうもないから攻撃してもいい。
- ブスやデブなら暴言を吐いてもいい。
- 夫が鬱で会社を辞めたいと言っている。男としてあまりにも情けないから妻として厳しく叱る。
- 男はみんな性欲が強いから女性に性暴力をしても仕方ない。
- 子供が不登校になった。無理やり引きずってでも学校へ連れだすのが親の役目。
- なじみのない最新の情報よりも、古く、権威のある者の言うことが絶対に正しい。(新参者への嫌がらせ、締め出し)
などなど、自分の思慮のない行動を「みんなこうしてしまうよね?仕方ないよね?」と多数派を隠れ蓑にして反省しない態度には呆れます。
島国根性、同調圧力
日本人は特に「みんな~しているから」「みんなが支持しているから~」という多数派絶対視の風潮が強いですね。
インターネットの普及で昔よりもそういう人は減ってきたと感じますが、それでもまだまだ島国根性の同調圧力は根強いです。
アメリカが実力や根拠に基づく、合理性を重視した公平な「正義」を基盤にしているのに対し、日本は正義よりも多数派や権威が尊重されやすいです。
(利害関係の絡む保守的な業界での汚職や、不正な権威付けなどが顕著です)
(常に少数派となる)革新的なアイデアや時代にマッチした最新の技術、価値観よりも、多数派であること、歴史があること、が重視されます。
これにより、今だに古臭い時代遅れなシステムや価値観、技術が導入され続け、他の先進国に比べて大きく遅れをとっている印象を受けます
大きな問題が起こってからでないと目覚めない
暗黙の空気感、慣習という正義が崩されるのは、多くの場合、大きな犠牲が出た後です。
- あと何人生徒が自殺すれば、通信制教育という選択肢が標準化されますか?
- あと何人過労死すれば、自己犠牲の美徳という洗脳から目を覚ますことができますか?
- あと何人患者がモルモットになれば、医療業界の不正な手術、投薬、権威付けがなくなりますか?
- あと何人家族に殴り殺されれば、家制度の標準化が撤廃されますか?
- あと何人冤罪になれば、検察の「使命感ごっこ」が裁かれますか?
- あと何人自衛隊寮で自殺すれば、集団主義の危険が認知されますか?
正直な所、老害と自分で考えることを怠るボンクラ大衆の弊害はいい加減にして欲しいレベルです。
多数派絶対視は脳の認知機能が影響している?
一部の研究では「人間は多数派の意見や権力者の発言を、内容とは関係なく、無条件に正しいと判断してしまう性質」があるそうです。
騙されているのではなく、正しい、と脳が勝手に判断するそうです。
その研究結果が本当だとしても、私には昔からそういう思考回路はありませんでした。
相手がどんなに権力を持っていても、支持されていても、発言の内容がしょうもないと感じたら、心の中で見下していました。
みんなが支持するから、という理由だけで正しいと感じたことはないです。
まとめ
多数派の意見を支持する、しないは個人の自由だと思います。
ただし、みんながするから~しても仕方なかった、と自分の非道な行いを正当化することは卑怯な態度だと思います。
多数派だから何をしても許される、という免罪符は存在しません。
例えその行動が世論の風潮で当然、とされていたとしても、分別なく他人を傷つけたり、悪態をついた行動はキチンと反省すべきだと思います。