公の場で下ネタを言うことはマナーに欠けるのはもちろんですが、
それ以外でも性的なことをタブーとみなし、ネガティブなイメージを感じる方(特に女性)も少なくないと思います。
性的なことにネガティブなイメージがある原因
色は本来、陰の部分であり、集団生活を営む上であけすけにすることで様々なトラブルを招くことは目に見えているため、タブー視することは理解できます。
ただし性的な表現を聞くと、必要以上にネガティブな気持ちにさせるもう一つの要因に、
性的な行為があまりにも女性への暴力的なイメージと結びついてしまったから、 という影響も大きいと思います。
特にアダルト系の描写物は、今だに女性に対する非道な暴力表現のものが数えきれない位あります。
日本の性犯罪率は外国と比べて低く、女性が安心して暮らせるように見えて(もちろん犯罪が存在する限り課題はあります)、
メディアのモラル意識においては、低いと言わざるおえません。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)という症状は、暴力的な表現を目撃してしまうことだけでも発症することがあります。
女性は男性の欲望を満たすための「おもちゃ」?
長い間、女性達は男性からの性的な対象(おもちゃ)として、人格を踏みにじられ、搾取される弱い存在だと社会から叩きこまれてきました。
- 女性は常に狙われている
- 女性が一人で歩いていると危険だ
- 女性は男性に守ってもらわなければ、生きてなどいけない
このような脅迫観念が、女性の自立心を奪い、男性中心社会に隷属する風潮を生み出していたと思います。
私も、このような脅迫観念に長い間悩んできました。
女性の自立を阻む、恐怖心
「一人暮らをして自由に行動したい!・・
でも女性が一人暮らしって危ない?変な男が押し入ってきたらどうしよう?隣に変質者が住んでたら・・?(;´・ω・)」
という恐怖心が、希望と同じ位の圧力で私の心にブレーキをかけ、願望に対して強い不安を抱えるようになっていました。
(実際は、よほど物騒なセキュリティや不用心でなければ普通に暮らせます。そうでなければ法治国家として崩壊しています)
また実際に昔は今よりも治安が悪く、変な男に絡まれることも多かったです。
そのため、外出する時も「今日出かけて、変な男につけ狙われたらどうしよう?無事に帰ってこれるかな・・(;´・ω・)」
と考えて、玄関前で数十分も固まり、結局外出をやめる、というパターンも何度か繰り返していました。
今から考えると、ちょっと被害妄想すぎた?と思いますが、 このような過剰な恐怖心が生み出される背景に、性的な暴力表現を目にしてしまったことへのトラウマが影響していたのだと思います。
性的描写物が妄想の範囲で抑制できない人もいる
AVは基本的に女性を「モノ」として扱っている作品です。
AVの話を女性の前ですると怪訝な反応が返ってくるのは、 女性蔑視視点で作られた作品について公の場で語ることが、女性に対して失礼であるという認識がないからです。
常識というよりも、思いやりのなさ(鈍感さ)の問題です。
もちろん「性的描写物は想像上のもの、ということで割り切る」ということが前提なのでしょうが、全員が全員そのように自制できるはずがありません。
特に未成年など、判断力の低い層が気軽に暴力的な性表現を見て、女性を性欲を満たすための道具、モノとして見なすようになることで、 被害を受ける女性を増やすことになると思います。
色々と理由とつけて正当化したがる「一部の男性」もいますが、
こういう女性への暴力的表現物が堂々と販売されている理由は、 単に当人にとって都合がいいから、という理由以外にありません。
児童を対象にした描写物は所持しているだけで犯罪になりましたが、 そろそろ女性(または男性)に対する暴力的な表現の描写物の規制を始めた方がいいと感じます。
男性への偏見を助長する
さらに問題なのは、こういう非道な性的表現を見た人(特に女性)が、
「男性の大部分がこういった性質を持っているのではないか?」 と拡大解釈してしまうことです。
実際には、ほとんどの男性は優しくて誠実です。
むしろ女性が絡まれたり、困っている所を発見したら利害関係がなくても、率先して助けてくれる男性の方が多いでしょう。
弱い人を守らなければ!という使命感を持つ、男気のある男性は沢山います。
しかし、こういう映像を見ると、例外的なケースに焦点が当たりすぎて、 女性側が男性を敵視したり、警戒することにより、男性に対するイメージが歪んでしまう原因にもなりえます。
電車内での冤罪なども「男は性的モラルがない」という前提(偏見)があるからこそ、不利な立場に置かれやすいのだと思います。
その結果、一日の始まり、責任のある仕事を抱え、プレッシャーを抱えながら毎日通勤電車に立ち向かう男性に対して、とても失礼な事態になっています。
こういったことが起きる背景には、無責任な描写でイメージを著しく歪めたメディアの影響を無視することはできないと思います。
「強い女性像」と「弱い女性像」の葛藤
世界中で多くの女性達が社会進出を果たす中、
男性と同じように稼ぎ、経済活動に参加し、強い女性像が推される中、
女性達の心の中には、今でも
「自分達「女」は弱い存在なの?」
と怯える自己像が共存しています。
強くなりたい!・・でも弱いの?
という葛藤を起させる一番の原因は、男性からの性的な暴力です。
また二次的被害と呼ばれる、隙があったから、誘っていたから・・
と被害者を責める風潮も女性蔑視です。
女性の社会進出が進めば、そのような女性達の声が届きやすくなり、女性蔑視の風潮はどんどん和らいでいくと思います。
(昭和時代から男性社会の中で活躍していた女性達は、本当に大変だったと思います)
規制による制限ではなく、被害者に注目して欲しい
女性差別云々ではなく、まずは人道に反する、女性への暴力的な性的描写物の販売を規制する対策が必要だと感じます。
(ちなみに、今だに未成年のグラビアが堂々と販売されている先進国は日本だけです)
すでに内閣府も規制に向けて動いているようなので、規制されるのは時間の問題だと思います。
規制はやりすぎ等、騒いでいる人達は人権意識が低い人達なのだと思います。
もしお子さんがいたら、
自分の子供と同じ年頃の児童が男性(または女性)の欲望を満たすためだけに、暴力を受けているシーンを見たら?
何も感じないのでしょうか?
もし、妹だったら?姉だったら?恋人だったら・・?
そんな表現自体が「肯定される」べきかどうか
冷静に考えれば、規制されるべきなのは明らかです。
※ちなみに出演者への強制や搾取という問題は、悪徳斡旋業として警察が取り締まる問題で、今回の規制とは論点がズレます。
(AV強要は重い刑罰が適用されるようになっています)
まとめ
わたしたち女性は、暴力的な性描写の規制により表現の自由を奪いたいわけではありません。
その映像の影響により、何の罪もない女性達が性暴力の被害に遭う可能性について考えて頂きたいのです。
映像の中で暴力を受けている女性は、見知らぬ女性です。
でも、 その映像の影響を受けた「模倣犯」に暴力を振るわれるのは、
あなたが大切にしている妹、姉、恋人、妻、母親かもしれないのです。