ひとみーぬ通信

HSPの生存記録。気まぐれ更新。

機械化が完了すれば、労働者はすべての苦難から解放されるであろう【無気力は健全な反応】

ここ最近、久々に低賃金バイトを経験し、私なりにたくさんの気づき、学び、教訓を得ることができました。

 

このような暴走記事に何度もお付き合いくださった読者様に感謝致します。

 

今回で労働に対する私の考え、考察は最後となるかと思われます。(次の業界の準備に集中しないとヤバい)

 

まず、今まで我が日本国では強烈な洗脳教育による価値観の刷り込みが日々行われてきたことを記しました。

 

その代表的な刷り込みの一つが勤労の義務、美徳です。

 

もともと勤労という概念の発祥元である欧米ではすっかり捨てされている概念にも関わらず、

 

日本では資本主義時代に突入しても、理不尽な勤労の義務を美徳にこじつけようとお上と(その配下の)マスコミが躍起になっています。

 

※働かざる者食うべからずってキリスト教の教えですからね。仏教と儒教を中心としている日本なのになぜ都合のいい解釈だけ輸入されるのか・・洗脳のためですね。

 

資本主義時代において、資本、権利、複利を持たない一般労働者は完全に不利なゲームをプレイすることになります。

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 どんなに働いても、裕福にはなれませんし、長時間拘束、機械のような仕事を身体が動くうちは一生させられることになります。

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産業革命がはじまってから、労働力の機械化が進んでいます。

それまで手作業で行っていた仕事を機械が大量にこなすようになりました。

 

これは一見わたしたち人間にとってありがたく、楽をでるようになったかのように見えました。

 

しかし、実際には機械が自立して作業をできるまでには進歩していないため、人間は機械の補助をすることになります。

 

少し余談となりますが、私は昔家庭用ラーメン製造工場で働いたことがあります。

 

そのラーメン製造工場では、機械から1秒間に大量の麺とスープ、薬味が落ちてきます。

労働者たちはその大量に落ちてくるラーメンの具材を素早く回収し、麺、スープ、薬味をまとめて袋にわけなければなりません。

 

そのラーメンセットが落ちてくるスピードは尋常ではなく、動体視力のすべてを集中しても新人にはとても追いつかないレベルでした。

 

0・5秒でも作業が遅れるとあっとう間にラーメンの具材が山となり、機械が警告音を鳴らしながら止まります。

 

そして先輩労働者からの怒号が飛びかう・・

 

そんな現場でした。

 

あのような環境では、人間は機械と同化するしかありません。

完全に心を無にして、自分が誰であるかも忘れて、ただただ素早く決められた工程をこなしていくことだけが求められます。

 

産業革命は人間の労働を機械に置き換えるものどころか、

 

人間を労働者から、機械にしてしまったのです。

 

 

体育の時間になぜタイム向上を目指すのか・・もうおわかりですね。大量の工場労働者を生産するためです。

 

今はまだ産業革命の途中なのだと思います。

 

労働現場で機械が完全に自立していない。

 

他のIT分野では、AIが自動化を達成していますので、IT系の仕事はほぼ一人でもプログラムによって大量のタスクをこなすことができますし、人件費も他の業種に比べて安いです。

 

つまり労働市場の中で、IT以外の分野において、機械化が中途半端なのですね。

 

私の今やっている清掃バイトもお掃除マシーンがもう少し進化すれば、人手を必要としないと思います。

 

今はまだ機械化が完全ではないので、人が機械の補助をするという構図になっています。

 

これから機械化が本格的に完了すれば、人が機械の補助をする必要もなくなるので、本格的に資本主義システムも終焉を迎えると思います。

 

そうなるとベーシックインカム制度などの、新しい社会、経済の仕組みが不可欠になりますよね。

 

労働に対する人の意識がここ20年位で大きく変わってきたことは、身近に感じられると思います。

 

これは日本だけではなく、世界的な流れです。

 

中国、若者の「横たわる主義」が議論呼ぶ 「非暴力による非協力運動」との見方も (epochtimes.jp)

 

こういうニュースを、ただの若者のモラトリアム現象だと流してしまうのは本質を見る目のないボンクラです。

 

世界的に低欲望社会に傾いている理由はなにか?

 

少し考えてみれば、ごく自然な現象であることがわかります。

 

つまり、長らく続いた資本主義社会により、先進国で暮らす人々は自分達が報われない運命であること、そしてこの先、機械化により生産力が補えることを感じとっているからではないでしょうか。

 

そして何よりも、国や社会が押し付けてきた、勤労の美徳、〇〇の美徳、〇〇愛などといった幻想を共有しなくなったのだと思います。

 

情緒的価値は目には見えませんが、存在しています。

 

目に見えないものですが、人を動かしたり、人に幸福感をもたらす原動力となっています。

 

今まではその情緒的価値を国や社会が一律で決めていました。

 

・結婚は幸福

・教師は尊敬すべき人

・家族愛こそすべて

・大企業で勤め上げることが幸せ

 

などなど。

 

みんな社会が定めた幸福のルールを共有していたのですね。

しかし今はもうそのルールを共有しなくなっています。

 

色々な理由があると思いますが、一番の原因は情緒的価値がパーソナライズ化されたからだと思います。

 

そのため、もう理念や美徳、義務といった概念で人々を統率することは困難です。

 

機械化によりある程度の生産力もあり、今後は機械化がさらに進む。

さらに幸福の概念、美徳の概念がパーソナライズ化され、より中立にフラットになっていく・・。

 

そんな流れの真っただ中にあるのが今という時代だと把握しています。

 

で、つまり労働に対して私が思うことは

 

今は産業革命末期なので、労働者は機械にされてしまう。

 

機械には尊厳もないし、人権もない。

 

だから今、人間らしく生きたければ労働時間を減らすか、自分が本当に楽しめる、やりがいを素直に感じられる仕事をすることがベスト。

 

私の場合、労働系のバイトには全くやりがいを感じられなかったので、今後は二度としません。

 

自分のビジネスで最低限の生計を立てつつ、無理しないよう週3日以上は働かないようにしたいと思います。

 

最後がぐたぐたになりましたが、要するに

 

 

労働者、ありえね~┐(´д`)┌

 

ということです。

 

今は労働力が必要とされているので、尊ばれていますが、この先、機械化が進み労働力を必要となくなった社会でも労働を生きがいにする人がどれほどいますかね?

 

つまり、自分がやりたくないことを代わりにやってくれているからサンキュー程度のことです。実際に私も汚い部屋を掃除しても、見下した態度の職員に何度も遭遇しましたから。

理想論で美徳ばかり語る人は、世間知らずなのでしょうね。