ネガティブに過剰な罪悪感を感じている人が多いように見えます。
ポジティブシンキングの思想や本などがヒットしていた影響か「常にポジティブで前向きで明るい人が正義!」という風潮があるように見えます。
特に人前では明るく、元気よく、弱音を吐かずに、常に前向きで!というまるでスローガンのような暗黙の鉄則が、社会のルールのようになってしまっている印象すらあります。
しかし私は、人とは本来ネガティブとポジティブ両方の感情を持っているものであり、ネガティブな感情を抱いてしまうことは自然なことだと考えています。
ネガティブはマナー違反?
さらにそのネガティブな感情を人前で晒すのはマナー違反という解釈も違うのではないかな、と感じています。
もちろん、TPOに合わせて、そういう部分を晒さない方がいい場面もあります。
しかし他者のネガティブな本音を見聞きして、すべての人が不快な感情を抱くという解釈は拡大しすぎだと思います。
芸術作品が時代を超えて人を魅了する理由
文学や芸術作品をみればわかるように、人のネガティブな部分を原動力として表現したもの、またはネガティブな部分をさらけ出したものが時代を超えて人の心を魅了しています。
多くの人が持っていて、心の奥に隠しているネガティブな面を作品を通して共有し、肯定する、という作業は芸術作品に触れる際の最大の癒しだと私は感じています。
感情を直視し、感性を深く探ることで真理を見出そうと試みた芸術家の純粋さに惹かれるのです。
みんながみんなポジティブなポーズをとってしまったら、芸術作品は残りませんし、細やかな感性も消失してしまいます。
もちろん愚痴、悪口大会のようなネガティブさは何の利益にもならないし、自分の気持ちをごまかしているだけなので、癒しにはなりません。
ただ、自分の中の弱さだとか、恐怖や苦悩といった気持ちは、罰することなく認めてあげていいと思います。
ネガティブな部分も「あなた」だから。
かけげえのない大切な「あなた」です。
誰かにとって常に心地のいい自分でいなくてもいいし、誰にも価値を証明しなくていい。
どんなあなたでも価値があることが、真実です。
だからネガティブなことを考えてしまう自分も発してしまう自分も、許してあげて、さらには受け入れてあげて欲しいと思います。
ネガティブさを払拭するように、ポジティブさでフォローする必要はないです。
私もそれをマスターしてから、かなり楽になりました。面倒くさくて蓋をして、ごまかしてしまいそうになる時もあるけれど、やはり受け入れてしまうのが最終的に一番楽です。
他人の弱さを受け入れられない「弱さ」
逆説的ですが、みんなが強くなろうとするのではなく、みんなが弱さを認めてあげられるようになれば、社会は強くなれるような気がします。
弱さを認められない弱さが、あらゆる問題の根だと感じます。
他人の弱さに腹が立つのは、自分にも弱い部分があるからです。
そしてそれを受け入れられないから、同じような人を見て弱さを素直に表現している他人に腹が立つのです。
他人をどう解釈するのかは、自分の心の投影次第です。
弱さを罰し、あるものをないもの、として無視し続ける否定のループが、人々の精神を病ませている原因ではないでしょうか。
特に男性は「男たるもの弱音を吐くな!」という戦時中のような規範が今だにはびこっていて、素直に感情を表現することが苦手な人が少なくないように感じます。(そうでない人も沢山いますが)
素直になることは弱さではなく、強さです。
弱い人は自分の正直な気持ちを直視することができず、ごまかします。
素直に自分の気持ちを認め、受け入れ、さらに外に表現までできる人は強い人だと思います。
ひっそりと、かもしれませんが、その「弱さを肯定できる強さ」に救われる人達が沢山いると思います。
というわけで、これからは、
ポジティブシンキングだけでなく、ネガティブシンキングも積極的にしていきましょう!(∩´∀`)∩根暗バンザーイ!
色んなタイプの人がいた方が、面白いですしね(・∀・)